あるカレーの料理漫画の話だが、料理対決でテーマは内臓。一方のシェフはフォアグラを使いもう一方のシェフは、はつやのみ、てっぽうといった七種類のホルモンを選択。審査に入る前に審査員からそれぞれの食材を選択した動機を尋ねられ、フォアグラを使ったシェフは、誰もが知っているフォアグラを使うのは、勝つために選手として当然の選択だと答え、もう一方のシェフは、フォアグラは誰もが知っている高級食材であるが、それ以外の安価な部位もフォアグラに負けないくらいおいしいということを伝えたかった、と答えた。この答えに審査員は、選手でありながら試合のことを考え無かったのですかと尋ねるとシェフは、そうすることがお客さまに対する料理人としての務めだと考えたと答える。審査員は選手である前に料理人であることを忘れず料理の最前線にいながら失わない高い攻めの姿勢を褒めた。結果は七種類のホルモンの勝ち。納得のいかない対戦相手に審査員は、高い志とそれに裏打ちされた料理は、食材を超えるといった。
何を言いたかったのかといえば、天地人についてである。信長や信玄といえば、歴史に興味の無い人間での知っているスーパーメジャーな人物であり、直江兼続は知る人ぞ知る人物である。それがゆえに扱いが難しい。それは理解していた。しかし結果は私の想像の遥か斜め上をいく駄作になってしまった。なぜか。いろんな話を聞くにつれ分かったことがプロデューサーや脚本家に志が無かったからだと私は考える。まず、脚本家。戦国時代なのにホームドラマをやろうとする意欲は買う。がだからといって史実をまったく知らないというのはどうだろうか。わずかでもこの大河を見ればこの脚本家が歴史に対して無知であり興味がないことは、素人の私でもわかる。ある作家は水野勝成というこれまたマイナーな人物を書いたときの苦労として資料を丹念に読み、これだと思うエピソードを見つけたらそれを否定する資料がでてきて途方にくれたといっていた。恐らく脚本家は、この手の作業をやらなかったのだろう。そうでなければ、終始一貫言動がぶれまくる主人公や、まったく空気な景勝、小悪党な家康、史実では御館の乱のときに主君景虎に殉じたはずの遠山康光がなぜか生きていて徳川家で重臣になっているなど描けるわけがない。プロデューサーにいたっては、最上義光を出さない理由が、正宗を大河でやったとき悪人としてえがかれた義光にたいして激烈な抗議があって大変だった。天地人でも抗議が怖いから台本からはずした。前田慶次郎も、出番が少ないことでファンからの抗議が怖いのではずした。・・・なにをいっているのか理解に苦しむ。抗議が怖いのではずす?事なかれ主義、官僚の発想である。まかり間違ってもプロデューサーの思考ではない。少し調べれば義光が名将であるがゆえに大河の扱いに不満を覚える人が沢山いたのだということがわかるし、それをふまえて天地人なりの義光をつくるのがドラマを作るということではないのか。さらにガチャガチャで家康が出たら子供が悲しい顔をするという話を聞いて天地人の影響かと思いうれしくなりました。・・・・・・歴史上の偉人にたいする敬意すらもちあわせていない。大河をやろうという志の無い人間が直江兼続を扱ったのだ。期待したほうがどうかしていたということだろう。 倉庫課
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