当社が出先に事務所を開設してから24年の月日が経つ。1985年(昭和60年)に えひめ飲料東京事務所(当時、愛媛県青果連)のビル内の一室に東京出張所として開設し、私が始めて転勤辞令を社長(当時、高門社長)から頂き一人で赴任した事を思い出す。転勤と言う事で急いで結婚式を挙げ、新婚旅行に行きそのまま千葉県市川市本八幡での生活が夫婦生活の始まりであった。年齢も若く27歳であった。私が愛媛県から大都会東京に進出し、新規開拓を期待されても右も左も第一に地名も分からない。迷い、焦りが一ヶ月ほど過ぎたおり、当時の愛媛県青果連東京事務所の営業マンに飲料メーカーの物流に携わっている方を紹介していただき特に恵比寿のカルピス食品工業株式会社内の金剛運輸(現、カルピス物流)の取引が最初で現在でも当社は飲料関係の取引が多い。
私は24年前弊社の出先事務所開設と言う事で記憶に残っているが、その他にもう一つ忘れてはならない大きい出来事がある。日本航空墜落事故である。8月12日18時羽田発伊丹行き123便ボーイング747SR機である。羽田空港を乗客・乗務員524名を乗せ飛び立った123便は18時56分ごろ群馬県の高天原山系に墜落し520名の死亡4名の生存と日本航空機事故最悪の結果となった。
私も東京に着任して最初のお盆と言うことで愛媛県の故郷に帰ろうと8月13日9時30分松山行きを予約していた。12日の夜20時ごろ女房が田舎に帰るのキャンセルしてと言ってきた。[そんなに再々飛行機落ちるものか]と女房と口喧嘩になり結果的にキャンセルして着任した初年度のお盆は関東生活をした事を思い出す。
今でも尊い命を失われたご家族に対しご冥福をお祈りいたします。
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