少し古い話になるが、日曜日に、私と友人、その友人の奥様の3人で、自転車散歩をした。
重信川サイクリングロードを、うちの近所から松前は出合橋まで下り、そこから坊ちゃんスタジアムを経由して、石手川公園、立花を通り、国道33号で下って椿神社へと向かい、高井へと上がるという、お散歩コースだ。
日和も程好い風があり、気持ち良く走り切ることが出来たので、大満足だった。
石手川公園では、散り始めた桜の木の下で、多くの人が最後の花見に興じていた。私たちも良い枝振りの桜の木の下に自転車を停め、そこで暫く休憩を取ったのだが、ちょうどその時に、少し強めの風が吹いて、桜の花弁が舞い散っていた。
「桜の雨みたいだねぇ」
友人の奥様が、舞い散る桜を見て漏らした言葉は、徐々に去り行く春を惜しんでいるかのようだった。菜の花の黄色こそまだ眼に鮮やかに、各地で見かけられるが、桜色の並木道は、もう来週には見られないかもしれない。そう思うと、今この時のこの光景をしっかりと目に留めておかねばと、そう感じていたのは、私たち以外にその場にいた、花見をしていた人たちも、きっと同じだったのではないだろうか。
枯山水を美しいと思うのは、そこに経過し積み重ねられた年月を感じるからこそなのだろうが、散り行く華を美しいと感じるのは、きっとそこに、経過している「今」を感じ、その「今という時」を儚いと思うからこそ・・・なのではないだろうかと、そんなことをふと思った、日曜日の夕方のこと。
センチメンタル三十路
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