2008年04月18日
 ■  北京に学ぶ

 たしか、春秋のころだったとおもう。ある国の王様が、笛の名手だったと思うが演奏家を招待した。演奏を望む王に演奏家は、一礼するとすたすたと帰ろうとした。あわてて止める王様に演奏家は「私は王の臣下ではない。乞われてここに招かれた客である。客には客に対する接し方があるのではないでしょうか。」と、問いかけた。王は己の態度を恥、あらためて演奏する場を整え、演奏をしてもらうことを望んだ。演奏家も王の礼に応え持てる技量のすべてで楽器を奏でた。
 一国の王でさえ他人に何かをしてもらうときは、相応の礼を持って遇するものである。相手の面子をつぶしておいて自分たちの案に賛成してもらおうと考える人たちの頭の構造をしりたいものである。
 誰もが知っている始皇帝の兵馬俑。大概の教科書に、写真付きででているあれだが、発見当初は、極彩色であった事実を知る人はあまりいないのではないだろうか。まあ、普通に考えれば中国史上最初の皇帝の墓があんな土くれ色をしていること自体、不自然といえば不自然である。発掘作業中に風雨にさらされてああなったそうだ。だから、則天武后の墓が発見されたとき、首相だった周恩来はその権限を持って発掘を禁止した。則天武后といえば、実在したかどうかも怪しい人物である。その墓が見つかったのだ。歴史的価値は、計り知れない。しかし、周恩来は頑として譲らなかった。現状のまま保存できる発掘技術が発達するまで待つことを。そうすることで自分たちの国民が世界に誇れる文化を守ったのだ。まさに百年二百年先を見据えた決定である。
 歴史に名を残す偉人になれとは言わないが、現状判断くらいはしてほしいものだ。あの時点で野党を逆なですることがどういう事態をまねくのか。少し考えればわかりそうなものである。

倉庫課
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投稿者 jatehime : 2008年04月18日 00:00

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