一度は松山城天守閣に登らなければ松山市民では無い。
愛媛県の県庁所在地であり、50万人を越える人口を有する四国最大の都市、松山市は城下町である。
市街のほぼ中央に位置する標高132mの山頂にある天守閣の最上階の窓からは、360度広がる大パノラマで松山平野から天気に恵まれれば西日本最高峰の石鎚山、日本一長い半島といわれる佐田岬、また瀬戸内海に浮かぶ島々が見られる。
*松山市の誕生から松山城の歴史
1602年 (慶長7年)伊予国正木(現 松前)城主10万石の大名であった加藤嘉明が関 が原の戦いでの戦功により徳川家康から20万石に加増され、足立重信を普請奉行に任命し二の丸(二の丸歴史庭園)と三の丸(堀の内)を有する広大な平山城の築城に着手し、五重天守として建造された。(現在は三重天主)
1603年 (慶長8年)徳川家康より「松山」と呼ぶこととし、松山という地名が公式に誕 生した。
1635年(寛永12年)7月に松平定行が15万石の藩主となり、以降、松山藩は四国の親藩大名として235年間続き明治維新を迎えた。
1867年(慶応3年)藩主・松平定昭が幕府老中職となる(大政奉還により辞任)
1871年(明治4年)廃藩置県により松山藩は松山県となる。
1873年(明治6年)愛媛県が成立する。
1886年(明治19年)より1945年(昭和20年)にかけて二の丸・三の丸は陸軍省の管轄となり歩兵22連隊の連兵場となる。
1923年(大正12年)松山城(本丸)が久松家へ払下となり、そのまま松山市に寄贈され、市の所有となった。
今でも松山市民は帰郷時、松山城を見ると「帰って来た実感が沸く」といい心の安らぎとなっている。
松山城を愛する市民より
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