競馬界には不思議なことに、名馬と名騎手がターフのうえで悲しい別れを遂げる事が
よくある。
キーストンといえば古い競馬ファン、いや競馬をかじったことのある人は誰でも知っている筈だ。快速キーストンはスプリンターの常で脚部不安はつきまとう。
昭和42年12月、阪神大賞典第4コーナーまでは誰もがキーストンの勝利を疑わなかった。次の瞬間、キーストンと山本騎手はもんどりうって1回転した。山本は脳震盪をおこして動かなくなっていた。そこへ山本を気遣ったキーストンが左前脚を完全脱臼した3本の足で近づき山本に鼻面を摺り寄せた。山本はやさしく顔を撫でた後、またもや気を失ったが目を覚ましたときにはもうキーストンは居なかった。激痛と苦しみの中で、なぜキーストンはあんなにやさしい目をしていたのか、別れが来ることを分かっていたのか、きっとそうに違いない。2年前のダービーでは、山本がレース中3コーナー手前で「そろそろ行くか?」と話しかけるとキーストンは「まだまだ。」と首を振り答えたという。素晴らしいコンビである。
キーストンは私が競馬を始める前の話であるが、一番の痛ましい感動はマティリアルである。昭和62年はまだ秋葉原に事務所があり、土曜日は昼の休憩に錦糸町ウィンズ、日曜日は市川の自宅から中山か府中か錦糸町へと通い、夜は大井のトゥインクルレースと競馬にのめり込んでいた時代である。天才武豊がデビューする前で岡部幸雄の独断場であった。レース開催日は12R中、第9R、第10R、第11Rが特別レースでありこの3Rに3連勝するなんて滅多にないことである。あるのは岡部くらい、いや岡部にしか出来なかった。
9,10と勝ち11Rのパドックに来ると「勝ち過ぎだ」「つまんないぞ」とヤジられっ放しである。しかし岡部は苦虫を噛み潰したような顔のまま馬に跨りにこりともしない。しかし、岡部の凄さはここからである。11Rもしっかりと勝つのである。最後の12Rはおまけみたいなレースであり普通は勝ちに行かないのが暗黙のルールである。だから3連勝されたら12Rは絶対に外して考えるのである。ところが岡部は平気な顔をして勝つのである。
話は戻ってマティリアル。中山スプリングステークスでは直線100mの間でラグビーのサイドステップの様に隙間隙間を抜けて勝利した。レース後、大川慶次郎が「This isthe 競馬」と感激したレースであった。前方へのスピードと左右への動きを見せ付けられダービーではマイナス14kgと大きく体重減であったがやはり断突の1番人気に押された。ちなみに私はマイナス14kgで馬券から外した。結果18着となり、以来勝星に見放される。2年半勝てないマティリアルは平成元年秋中山の京王杯オータムハンデで岡部騎乗が決まったが、誰もが勝利するとは思っていなかった。ところが、マティリアルは勝った。ゴールを決めた後、あの冷静沈着な、何事にも動じない岡部が鞍上でガッツポーズをしたのである。大きく全身で喜びを表現した。ダービーの敗北には競馬関係者、ファン誰もが何かすっきりしないものを心の中に残していたのだ。あのスプリングステークス以来2年半ぶりの勝利である。まさしく「見たか!」と叫びたい気持ちは良く分かる。その思いが胸をよぎった瞬間、第一コーナー過ぎを流していたマティリアルが突然立ち止り右脚を痛そうに引き摺っている。「えー!、まさか、なんで」といった想いが交錯する。痛々しくて辛い光景をまたもや見せつけられた。
岡部幸雄という男がいかに凄いかを物語る話をひとつ。昭和62年5月25日、渋谷のNHKホールでスポーツ新聞の競馬担当記者を集めてダービーフェスティバルが行われた。ステージには10人ほどの記者が並び、司会者のダービー予想の質問に、各記者連中は当然1番人気のマティリアルが本命であると答え、岡部が1週前の追い切り後、「馬体が細い。」と言っているがとの質問には全ての記者が「岡部の口三味線である。人気を一人でかぶるのが嫌なのであろう。」と答えていた。そうして最後に競馬の神様大川慶次郎が質問に答え「岡部は三味を弾くような男ではない。」と言った瞬間、それまで和やかに楽しく盛り上がっていたNHKホールが水を打ったようにシーーーんとしてしまった。それまで「ああだ、こうだ、」と講釈を言っていた記者は一言もなく俯いてうな垂れている。さすがは神様大川慶次郎、そして神様から絶大なる信頼を受けている岡部である。ちなみに私も2Fの隅っこでうな垂れていた。31日のダービー当日、私はマイナス14kgを嫌い穴馬券を買っていたが、坂を上り残り200mとなったとき、私の目は先頭争いそっちのけで馬群に沈むマティリアルに釘付けであった。このレース、勝った馬は忘れたがマティリアルだけは忘れられない1頭である。
さすらいの馬券師
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