さて、北海道旅日記、しばらく間が空いたが、今回で4回目である。今回のルートは、網走。皆が思う通り、網走監獄のお話だ。
一宿一飯の恩返しというわけではないが、荷物運びや畑仕事を手伝った後、駐在さん夫婦に別れを告げ、再びバイクにまたがった。気力・体力共に充実した状態で、昨日辿り着けなかった網走へと走る。ある程度近い所まで来ていたのもあって、網走の街中にはほどなくして辿り着く事が出来た。
網走と言えば、皆が思い付くのは網走刑務所がある街・・・と言った所だが、私自身もその程度の認識だった。刑務所と聞くだけで別に悪い事もしていないのに何だか身構えてしまうのも、それはそれで変な話なのだが・・・。
旧網走監獄こと、博物館網走監獄を見学した際に、この辺り一帯の歴史は網走の監獄に収監されていた囚人たちと共にあるということを知り、不思議な気持ちになった。網走監獄が出来上がる以前、この辺りはまだまだ開拓も進まず、越冬も厳しい僻地だったこと。そこに網走監獄が出来上がり、徐々に人が集まってきたこと。囚人達の労働によって、僻地だった網走が、立派な道路や鉄道、港に空港までも備えることが出来たこと。そして、多くの囚人達が、網走を終焉の地としたこと・・・。網走の街が、良くも悪くも網走監獄と共にあり、彼らの働き無くしては今の網走はあり得なかったことを知り、自分の中での網走のイメージが、少し変わった気がした。
網走駅を見に行った時、駅の名前を縦に真っ直ぐ刻んだ、見事な看板が出迎えてくれた。あまりに真っ直ぐに伸びた看板を不思議に思い、近くにいた年配のご婦人に尋ねた所、この看板が真っ直ぐ伸びているのは、受刑者が出所し、この網走駅から郷里に帰る際、もう二度と横道に反れることが無いように・・・との願いを込めて、真っ直ぐな看板にしているのだとのこと。収監されたことが無いので何とも言えないのだが、長い刑期を終え、青空の下この網走駅に立った時、その元囚人の目にこの看板は、どう映るのだろうか?
網走の醍醐味ともいえる網走監獄を、自分で予想していたよりも遥かに楽しみ、その後、少し寂れた感じの商店街をぶらついて、小さな民宿に宿を取った。極端に綺麗と言うわけでもなかったが、女将さんの手作りのカレーが良く煮込まれており、非常に美味しかったことを覚えている。
腹を満たして部屋に戻り、地図を開いて明日の目的地を決める。不意に地平線が見たくなり、標津へ向かう事を決めた。今日も一日良く動いたな・・・と思いながら、徐々にやってきた睡魔に身を任せ、そのまま眠りに落ちたのであった。
どことなく物悲しい印象な街の網走だが、訪れてみて思ったのは、この街は確かに物悲しい歴史もあるが、それと同時に力強い発展の歴史も持っているということ。この地で無念の内に果てた囚人達も数多くいるのだろうが、彼らが懸命に開拓したからこそ、今の街があるのだろう。その土地土地によって違うだろうが、今があるのは全て過去の積み重ねがあるからだ・・・ということを忘れてはならない・・・と締めて、今回は筆を置くことにしようと思う。
運輸課
ブログランキングに参加しています。クリックのご協力をお願いします。⇒
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.jat-ehime.co.jp/blog2/mt-tb.cgi/267