2007年06月15日
 ■  軍師列伝 五回目

 一躍、天下に名を轟かした半兵衛だが、武田や織田を筆頭としたあまたの大名の誘いをことごとく断り、領内でひっそりと隠棲していた龍興に城を返すと、あっけなく隠居してしまう。その半兵衛を三顧の礼よろしく、足しげく通いつめ配下に迎えたのが後の豊臣秀吉である。ここでひとつの疑問が。なぜ、半兵衛は武田や織田といった大名の誘いをけりながら、秀吉についたのか。私なりにいろいろ考えて一つの結論にたっした。
おそらく半兵衛には武士たるものかくあるべし、という自分なりの理想像というべきものがあり、生涯をかけてそれを追い求めたのではないか?
ある日半兵衛は、僚友の黒田官兵衛と酒を飲んでいたとき、秀吉の証文を取り出し手柄をふいにされたとぼやく官兵衛に対し、半兵衛はその証文を一瞥すると火にくべてしまう。手柄を立てたときには加増を約した秀吉直筆の証文である。色をなす官兵衛に半兵衛は「武士たるもの働きに見返りを求めてはいけない。あのような証文があれば勤めに日陰ができ君臣の間に溝ができる。君にとっても筑前さまにっとてもよろしいことではない。」と諭した。
半兵衛の理想とする武士のあり方、士は己を知るものの為に死す、ではないだろうか?若かりし頃、稲葉山城を落としたとき織田や武田が半兵衛でなく美濃を欲したとき、ただ、秀吉だけが竹中半兵衛重治を求めた。だからこそ半兵衛は信長の配下ではなくではなく秀吉の直臣として信長に寄騎したのではないだろうか。と私は考える。

倉庫課 二十面豚
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投稿者 jatehime : 2007年06月15日 00:00

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