2006年10月30日
 ■  第五回 毛利元就

 戦国時代、あまたの謀略巧者を生み出せど、毛利元就に比類するものは、存在しない。
神算鬼謀と評しても過言ではないといえるのでは、ないだろうか。
 大内氏をのっとった陶氏を厳島におびき出し見事に打ち破った厳島の合戦。このときは自分の重臣を内応させたと見せかけ、さらに瀬戸内水軍衆を味方に引き込むことで、勝利をおさめた。圧巻だったのは、尼子氏にしかけた謀略の数々である。月山富田城にあり山陰方面に隠然たる、勢力を誇る強大な尼子氏にたいして元就はまず、新宮党に目をつける。
 新宮党といえば、尼子氏最強の精鋭部隊でその強さは京の都にまで聞こえるほどであった。元就は、まず尼子の領内で新宮党が晴久(尼子家当主)に不満をもっているという噂を流す。その噂が蔓延したころを見計らい、新宮党が毛利に内応し晴久の首をとるという内容の偽書をつくり、晴久の手に渡るように仕向けた。兎徒死して走狗煮られ、高鳥尽きて良弓隠れ、敵国滅びて謀臣滅ぶという故事にあるように新宮党の戦闘力に頼もしさと強すぎる力ゆえの不安を抱いていた、晴久は新宮党を誅殺する。まさに芸術ともいえる謀略であった。たんに新宮党を壊滅させ尼子の戦力を低下させるだけではなく、他の重臣たちに晴久に対する不信感を植え付け、内応という形で開花させる下地をつくる、きっかけを築くことに成功している。この後尼子は毛利の侵略に対して有効な手立てを講じることもなく野戦で破れ、籠城すれば重臣たちが雪崩を起こすがごとくも毛利がたに寝返り、抵抗らしい抵抗をすることもなく滅亡している。
 中国地方に確固たる覇権を確立した元就であるが、その過程において最も気をつかったのは、人の結束であった。毛利は評定を開くとき、元就を中心に円をえがくようなかたちをとる。上座、下座もうけず譜代、外様の区別をしないという心遣いがみてとれる。元就自身が人の心を操る達人であるため、人の心の闇の部分が誰より鮮明に見えたのだろう。わざわざ遺言に毛利は天下を望まず。と言い残したほどである。
 家は人によって興り、人によって滅ぶ。どのように強大な力を有していようとも、そこにある人しだいでたやすく崩れ去る砂上の楼閣のごときもの。逆にあきれるほど小さくても人しだいで、巨象もかみ殺すことができる。
元就は自身の経験からそのこと誰より理解していたのでは、ないだろうか

倉庫課 次長の影武者
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投稿者 jatehime : 2006年10月30日 00:00

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